21日に奈良から宮城県へと向かい昨日無事奈良に母とともに帰宅することができました。



哀しみ、怒り、喜びと様々の感情を抱いたここ数日でしたが今は穏やかに母のこれからをどうすべきか難題が多い状態ですが

1つ1つ解決していかなくてはとおもいつつ友人や旦那にも力を借りている状態です。



今回はとても惨い内容の部分もあるのでご理解いただいた方のみご覧くださいね。



テレビの映像では安置所では棺に入っているのを見ていたので母も・・・とおもっていたのに

現実の遺体の安置所では棺もなくビニール袋に裸のままくるまれただけの惨いとしかいいようのない管理で

母を亡くした痛み以上に悔しさのあまり泣き崩れるしかありませんでした。



遺体の数があまりに多いため仕方のないことだとは今は理解していても母はこのような形で成仏できるのだろうか?と・・・



まだ遺体の確認がとれていない方の苦痛に満ちた顔は今でも忘れることはできません。

ただ1つ救いだったのは母は外傷も少なく口もしっかり閉じていてあまり苦しんでいる顔ではなかったことです。



並大抵の精神力では入ることができないであろう現代の戦後のような安置所(市場)でした。



安置所に次から次から運ばれてくる泥にまみれたままの遺体

まだ安否確認ができていない方々の遺体写真の前で必死に探す知人や家族の方々の悲しみや悼みや悔しさ

燃料不足や火葬場がどこもいっぱいで非常時の措置とし土葬から火葬に至るまでの険しい日程

避難所の方々の辛い現状

余命6ヶ月となる父の心のケア~に世話

兄弟の醜い争い

とこの数日でたくさんのことがおきすぎて1人ではとてもじゃないけど抱えることができませんでした。



ただ今回は悲しく辛いことが多かったけどどこか母との思い出の場所を巡るツアーとなったようにおもいます。



最愛の母を亡くしたこんなときに不謹慎かもしれないけど・・・

あちきの中に母が入って一緒に旅をする感覚で楽しんでいたようにすらおもえた数日でした。



ってのも一緒に付き添ってくれた旦那すらも今回ばかりは信じずにいられないほど沢山の謎めいた現象を目の当たりにしてるんです。

(また機会があればこの不思議な現象も記事にさせていただきますね)



画像の御木幽石さんのこの言葉もある場所で母があちきに読ませてくれた詩の1つです





3a65345a.jpg






あちき同様に霊感がたけていた母なので…



まずは石巻市まで移動しなくてはならないのに仙台で足止めをくらいそうになったときにブログでつながりのある方から突然のメール

が届きガソリンがないと大騒ぎしてる中迎えにきていただくことができ救われ長年繋がっていたのに行き来することは遠いこともあり

なかったのに実家から車で5分のところが彼女の旦那さんの実家で父とも面識がある仲だったのです。



母が癌である離婚した父では動けないことを察知して彼女とあわせたとしかおもえません。

お陰で3日はかかるであろうことを順調に進み1日で手続きもでき翌日は石巻市を離れることができました。

今考えても絶対無理としかおもえないことばかりでやはり母は側にいてくれてるんですね。



この1日で母と暮らした家を運転してくれた彼女に伝えたわけでもないのに偶然まわることもできましたし母は奈良にくることを了承

してくれ懐かしい故郷を後にする覚悟ができたのであろうと・・・生前はあんなに嫌がっていたのにこんな形ではあるけど

でも母と何度か行った石巻市を山の上から拝める場所(日和山)でみた景色はあちきの育ったときの町ではなくあまりにも酷すぎる

町並みにかわっていて身震いすらしたけど母の写真を胸に抱き最後の石巻市を母とみてきました。





今は至って落ち着きも取り戻しつつありますし土葬なので順序がおかしいけど明日母の戒名をとることもできそうなので

49日までは母との思い出の旅(21日~25日)の記事が多くなるとおもわれますができる限り更新させていただきますので

ご気分が悪くなられない程度に足を運んで頂きテレビでは奇麗ごとばかり並べているけどあちきは同じ苦しみをかかえてる人

のためにも包み隠さずブログで吐き出したいとおもっていますのでよろしくお願いします。

それにともないテレビへの主演依頼を断り続けていたけど今回のことでふっ切れたこともあり活動もしていこうともおもっています。

やはりブログでは語りつくせないことを映像を通して話さなくてはともおもいますし・・・







そして昨日あちきの誕生日だったので沢山のプレゼントやコメント&メールありがとうございます。

母のことをブログの記事にしていただいた方々にもこの場をかりてではありますがお礼申し上げさせてもらいますね