志村けんさんの実兄の報道陣への対応の中で
感染を防ぐため遺体とも面会できず火葬されたという言葉が
震災で亡くなったお母ちゃんと重なり直視できなく苦しい...。
お母ちゃんとは旧青果市場が遺体安置所となっていたので
硬く冷たいコンクリートの上で会ったのが最後で
硬く冷たいコンクリートの上で会ったのが最後で
当時は火葬処理能力が追いつかずいったん土葬されその半年後にやっと火葬する事ができたけど
遺体の損傷などから棺ごしの別れとなり花を手向けることすらかなわなかった
あの頃がフラッシュバックしてしまい涙が止まらない1日です。
あの日から生花は絶やさず生けてあげるよう心がけているのも
手向ける事がかなわなかった分つよく執着してしまっているのかも...。
←それで当たり前ですね。
医療崩壊寸前と医師も声をあげているのに国の対応にも疑問はあるけど
このまま感染者が増えていけば家族と最後の面会もできぬまま
お別れをしなくてはならなくなる事がどれだけ後々の悲しみを深く大きくするのか
少しでも皆がはやく気づいて無防備に不要不急する人がひとりでも多く減る事を願います。
明日は志村けんさん追悼番組が急遽放送されるようですね。
笑って見ることができるのか不安だけど
笑って見ることができるのか不安だけど
毎週土曜8時になると母と一緒に観ていた頃を懐かしみ偲びたいとおもいます。